東映アニメーションの歴史


東映アニメーションの歴史や沿革をご紹介したいと思います。
東映アニメーションの歴史を語る上で、大きく分けて「黎明期」「1970年代」「1990年代 」「2000年代 」の4つに分けて説明します。

黎明期
1950年代に日本においても大きな成功を収めていたウォルトディズニー映画のように、日本産のアニメーションを独自に製作しようして当時の東映社長、大川博は日本だけでなく世界でも成功するためのアニメ製作を最初から考えていたといわれています。
そして、東映は日本のアニメーションを普及させる目的で、1948年に日動映画株式会社を買収して日本動画株式会社として設立、1952年には東映動画株式会社へ商号変更しました。
1957年に短編アニメ映画「こねこのらくがき」を完成させ、同年に劇場長編アニメ映画「白蛇伝」が公開されました。
その後も、テレビシリーズアニメ映画「狼少年ケン」、アメリカでも公開された劇場長編アニメ映画「ガリバーの宇宙旅行」、「太陽の王子 ホルスの大冒険」、「長靴をはいた猫」などの長編作品を公開するなど、東映の長編映画時代を1960年代に築いていくことになります。


1970年代
この時代になるとテレビシリーズ製作が拡大することになり、東映が力を入れていた長編映画は縮小傾向にありました。そのため、東映の劇場作品は「東映まんがまつり」が中心となることで、東映の長編映画時代の終焉となったのです。

しかし、この時代ではテレビシリーズ 「魔法使いサリー」「マジンガーZ」等がヒットしたこともあり、テレビシリーズアニメ映画の海外販売を開始することになり、日本のアニメーション輸出の土台を築きあげていきます

そして、東映アニメーション初の自主製作劇場映画長編アニメ「銀河鉄道999」が大ヒットしていくことになります。

1990年代
この時代になると、アニメ製作のコンピュータによる映像製作ソフトなどの技術革新が進んだり、フィリピンに「EEI-TOEI ANIMATION CORPORATION」設立するなど日本のアニメ化の国際化が進むことになります。

2000年代
韓国やアメリカ、フランス、中国へ営業拠点を設立していきます。